私は30代前半の東京在住のビジネスマンで、岩手県出身の女房とは結婚してかれこれ6年ほどになります。
子供も男の子を授かり、三歳になる長男は義理の父と母にとっては初めての孫。
初孫の顔を見るのをいつも心待ちにしている義理の父と母の為に、毎年正月には新年の挨拶を兼ねて必ず女房の実家がある岩手へと出掛けていたのです。
ですが、今年の正月はあいにくと昨年末からの大きな仕事を抱えしまっていたので行くことが出来ず、2月になってようやく仕事も一段落したので長男を連れて女房ともども岩手に出向いたのは2月も半ばになってからのことでした。
到着したその日は私も義父もイケる口ですので、夕方から二人で飲み始めました。
かなり酒が進んでしまって途中で寝てしまい、女房に起こされ目を覚ましてみると時計の針は夜の11時を指していました。
女房の実家の風呂釜はあいにくと故障してしまい「修理待ち」だとのことですので内風呂には入れません!
私はどんなに酔っていたとしても寝る前には必ず風呂に入るタイプの人間です。
そのことを百も承知している女房は、内風呂が使えないわけですから終業時刻が迫っている「銭湯」に私を行かせる為に酔いつぶれて寝てしまっていた私を起こしたのでした。
岩手は北国であっても雪はそれほど降りませんが、それでも2月ともなりますとやはり夜はかなり冷え込みます。
酔いつぶれて寝ていたのでそれなりに頭はボッーとしてましたが、女房が持たせてくれた石鹸箱とシャンプーが入った風呂桶を持って外に出たとたんあまりの冷気で思わず身震いしてしまい、酔いが覚めてしまうほどです。
銭湯は女房の実家からは本当にごくわずかな距離・・・二軒おいたところの路地を入り、少し広い空き地越しにあります!
女房の実家は岩手県内の結構名の知れた都市の外れのところにあります。
ですが、都市と言っても地方のことですし、さらにその都市の外れの町ともなりますと昔の風情が漂う「田舎町」なのです。
そんな町の中の銭湯ですから、東京にも昔はあったなあ!と思わせる雰囲気の「銭湯」です。
建物からして古く、脱衣場の男湯と女湯の境の柱に掛かっている大きなノッポの古時計、天井から下がっている羽根だけの扇風機、そして、入る時に反対の女湯の脱衣場が覗けるほど低く構えた昔ながらの番台、さらに湯上がりに腰に手を当てコーヒー牛乳を飲む・・たぶんこの近くのご隠居さんとおぼしき人の「姿」までもがレトロな雰囲気を醸し出しておりました!
終い湯(しまいゆ)ま近のかなり遅い時間でしたので、自分を入れても入浴客はわずかに4人ほど。
ひと通り身体を洗い終え、これもまたレトロな雰囲気が漂う銭湯定番の「富士山の絵」をのんびりと見上げみながら空いている広い浴場の大きな湯船に浸っていますと気持ち良いほどに酔いが覚めていく感じです。
同じ北国であっても岩手県内のこの町は雪はそれほど降りませんが、それでも冬場の夜はかなり凍て付きます。
冷え込んでいる外とは違い、暖か過ぎるほどの浴場内は湯煙りが漂っておりました。
浴場内にいた一人が脱衣場に出て行こうとするのを湯船の中からぼんやりと目で追っていましたら、湯煙りでわずかながら霞んでいる浴場を通してその先の脱衣場の番台のところに外から入って来た二人連れが目に入りました!
80歳前後のお年寄りと小学校高学年ぐらいの女の子でした・・・??
銭湯の「男湯」に小学生の女の子・・・??
番台のオバさんに入浴料を渡しながら、何やらひと言ふた言笑顔で言葉を交わしていたその女の子は少し伸びた髪の毛の両方をゴムで束ね、厚手のオーバーコートを着ていました。
そのせいかいささか「着膨れ」していることもありましたが、それを差し引いてもかなりポチャッとしている「体型」に見えました。
そして、《背丈》もそれなりにあったので、小学校の五年生か六年生ぐらいではないかと思いました!
それでも五年生、六年生にもなる様な女の子がまさか男湯に入ってくるわけではないだろうに!・・・では、どうして?・・・と、ふとそんなことを思ったのでしたがそんな疑問もすぐに解決!
その子のおじいちゃんとおぼしきそのお年寄りはまだ惚けてはいないみたいですが、それでも手と足がいささか不自由な様子。
見るからに誰かの介添えがなければ歩くことさえままならいほどなのです。
そんなお年寄りの手を引き甲斐甲斐しく世話をするその女の子の健気な姿を見てしまいますと微笑ましく思えて、その女の子が「男湯」にいるということに違和感すら持たなくなってしまいます!
番台のところからそのお年寄りの手を取ってゆっくりと脱衣場のロッカーのところまでそのお年寄りを導くと、まずその子は自分が身に付けていた白いマフラーと丈がさほど長くない子供用のベージュ色のオバーコートを脱いで薄いピンク色のセーターとチェックのスカートだけの動き易い恰好になりました。
そして、すかさずそのお年寄りの不自由な手の代わりになってマフラーから始まりセーターにズボン、そして下着まで脱がして裸にしました。
さらにその子は自分の靴下だけを脱いで裸にしたお年寄りの両方の手を取って後ろ向きになり、私がいる浴場の方へ進み始めました。
すると、その様子を見ていた番台のオバさんが番台から下りてきて、見るからに危なっかしいそのお年寄りの歩く介添えの手助けをし始め、その女の子と一緒になってガラス戸を開け浴場の中に入り、入ってすぐのひとつのガランの前に座らせました。
女の子は手伝ってくれた番台のオバさんに軽く会釈をすると、座らせたそのお年寄りに何やら声を掛けたあと、彼女もオバさんとのあとを追う様に脱衣場の方に戻りました。
湯船に浸かりながら、甲斐甲斐しく世話するその子の様子を見ていた私は・・・
「この子は足の不自由なおじいちゃんの介添えをしこの銭湯まで連れて来て、そればかりではなく手も不自由なそのおじいちゃんの手の代わりとなり、衣服を脱がせお風呂に入るところまで手助けするのか!・・良くそこまで面倒見るよな!・・今時の子にしては関心な子だな!!」と心の中でつぶやきました!
ここまでのその女の子がしてきたそのお年寄りに介添えをする様子を見れば、たぶん私だけではなく誰もが同じ様にそう思うでしょう。
そして、これもまた私と同じ様に・・・
「そのお年寄りがひとりで洗い終える間、その女の子も女湯の方に行き湯に浸かるであろう・・そして、そのお年寄りが洗い終えるのを見計らってまたここに戻り、服を着る手助けをするであろう!」・・と、誰もが思い描くに違いありません。
だってそうでしょう?・・・小学校の五年生か六年生の高学年にもなる様な女の子が男湯に入るわけはありませんからね・・・!!
でも、それは違いました!
このあとからは信じられない光景が次々に私の目に入ってきたのでした!!
おじいちゃんを残し、てっきり女湯の方に行くとばかり思っていたその女の子は脱衣場の方に戻り、脱がせた時のまま板の間にそのまま置いておいたおじいちゃんの衣服をロッカーの中に入れると、何とその場で着ていた薄いピンク色のセーターを脱ぎ始めました。
そして、セーターを脱いだ!と思うとアッという間にチェック柄のスカートも外し、見るからに女児用だな!とわかるスリップ姿に・・!
さらにはそのスリップの肩ひもを手早く外し、続けざまに毛糸のパンツごと下着まですべて脱いで《裸》になってしまったのでした。
そして、ローカーのカギを閉めて脱衣場と浴場とを隔てるガラスの引き戸を開け、私がいる浴場の中へと戻って来たのでした!
私はまだわずかながら酒が残っているせいで少しボケッーとしてはいたもののほとんど酔いから覚めていましたが、それでも「あれ~、俺はまだ酔っているのかなあ・・?」と自分の顔を思わず手で叩いて自分が正気かどうか確かめるほどにその女の子の行動が信じられなかったのでした。
信じられないことでしたが、それは紛れもなく実際に起こったことだったのでした。
すでに夜も遅く、閉まい湯真近かで入浴客もごくわずか・・・
そして、おじいちゃんをお風呂に入れる!という目的があるにせよ、小学校の低学年ならまだしも高学年の女の子が「男湯」に《裸》になって入ってくるなんて・・!と私は驚いてしまいました!
あとから聞いたのですが、その女の子は「良子」?というみんなからは「ヨッちゃん」と呼ばれている、まだ小学校の五年生だということでした。
父親は交通事故ですでに亡くなっており、母親と母方のこのおじいちゃんとの三人暮し・・!
父親に成り代わり母親が看護婦をして一家を支えているとのことです。
看護婦には「夜勤」が付きもの!
母親が夜勤でいない時には母の代わりにリウマチにかかり手足が不自由になってしまったこのおじいちゃんの面倒を看ているという〈おじいちゃん思い〉の近所でも評判の「孝行娘」だそうです!
ちなみにそのおじいちゃんの連れ合い・・・要するに良子ちゃんのおばあちゃんの方は数年前にすでに亡くなっているとのことです。
母親が日勤でおらず、さりとて学校がある良子ちゃんもいない昼間の時間帯は仕方なくヘルパーさんを頼んでいるということですが、「介護保険」でこうしてヘルパーさんを頼んだとしても母親の看護婦だけの《収入》だけではいくら「保険」で安く上がるとは言え、そう頻繁には頼めないでしょう。
ましてや、利用料金が割高な「入浴サービス」ならなおのことでしょう。
ですから、母親の収入だけの苦しい「家計」を助ける為にと、たまにこうしておじいちゃんをこの銭湯に連れて来て母親に余計な負担を少しでも掛けさせない様にしているんだそうです。
<おじいちゃん思い>ばかりではなく、<母親思い>でもある本当に感心な「女の子」なんだそうです。
(続く)