昭和幼妻物語

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昭和幼妻物語

まだ、昭和と呼ばれた頃、テレビがカラー放送の時に「カラー」と隅に表示されていた中学2年、父の愛人兼家政婦の35歳の女で童貞を失った。
セックスを教えられながら日々中学生活を送っていた。
高校時代は27歳の専属家政婦に3年間世話になり、女の扱いを覚えた。
東京にある大学に通う間は、毎年違う女をあてがわれて同棲生活を送った。
間違えて妊娠させた女もいた。

卒業して故郷に戻ると、屋敷内の離れで幼い許嫁と住まわせられた。
その許嫁は、父の古い友人の孫で、一家惨殺事件の生き残りだった。
遺言で、父の次男、つまり俺との結婚を望んでいたことが分かり、そうさせるために、大学卒業まで俺に女をたくさんあてがったのだった。

仕事から戻ると、幼い許嫁は宿題をしていた。
幼い許嫁は一回り年下の11歳、範子という小5の女の子だった。
暫くは風呂場でオナニーで我慢していた俺だったが、次第に同じ部屋にいる範子に女を求めるようになった。
チンポを握らせ、マンコを弄った。
じっと耐える範子のマンコが濡れていった。
その姿を見ながら範子に射精した。

範子を縛って抵抗できなくしてマンコを悪戯するようになった。
淫情がたぎり、幼体折檻がエスカレートして、ついに小5処女の狭いマンコにチンポを突き立てた。
「ムギイ・・・」
11歳の処女喪失、もちろんそのまま中出しした。
翌日、範子の下着から処女喪失中出しセックスを見抜いた母が父に報告したらしく、呼び出された。
「許嫁だから何をしてもいいが、まだ、妊娠はさせるなよ。16歳まで妊娠はさせるな。わかったな。」
それ以来、膣外射精に切り替えた。

11歳から緊縛被虐で凌辱された範子は、次第に被虐悦に染め抜かれていった。
女の子なら顔から火が出る大股開きで緊縛されて、硬めのストローで幼クリを吸い出され、敏感になったところでクリ苛めされて快楽に幼体を喘がせた。
大人の生チンポに貫かれ、精液を浴びて被虐快楽に乱れる幼き肉奴隷は、翌日は赤いランドセルを背負って元気に学校へ向かった。

中学生になった範子は、公立中学のセーラー服に身を包むと、お下げ髪が清純さを演出する美少女になった。
大人しい清純美少女は、家に帰れば緊縛され、疼き濡れた発情マンコを剥き広げられて、淫具で凌辱された。
羞恥に乙女心を痛めながらも、快楽に負けて抵抗できないマゾが芽生えていた。
時には全裸で、時にはセーラー服で、手足を縛られて屈辱の大股開きで女性器を露出させられて、まだ希少だったバカでかいビデオカメラでその痴態を撮影された。
まだ13歳の少女には耐え難い羞恥だったに違いなかった。
範子は、縄の痕と浴びた精液の匂いをセーラー服で隠し、お下げ髪で清純を装い、淫乱を封印して中学生活を過ごした。

マンコを嬲られて恥じらいに頬を赤らめ、マンコの奥深くまで汚辱され続けた範子は、日々繰り返される快楽地獄に絶望の潮を噴きあげていた。
全裸に剥かれた幼身は、マンコの奥まで晒されて撮影され、恥辱の奥底に追い込まれていった。
緊縛凌辱で甚振られた範子は、中学を卒業する頃には立派なマゾに育っていた。

16歳まで妊娠させるなとの父の言葉だったが、高校へ進学した範子は結婚するわけにはいかず、淫罪の烙印を押す婚姻届けは範子の高校卒業まで延ばされた。
清純な女子中学生から、こんどは清楚な女子高生へ成長を遂げた範子は、相変わらず無残な姦刑に痴態を喘がせていた。
どこから見ても処女にしか見えない清楚なセーラー服女子高生は、一皮剥けば被虐の妖気が漂い、恥辱の限りを尽くされて悶え乱れる憐れな姿に羞恥の美が極まったとき、それをビデオで記録されていった。

範子が高校を卒業したときには、範子のマンビラは18歳とは思えぬ薄紫になり、吸い出され続けたクリは赤く肥大した。
そして、範子は18歳の花嫁として、30歳の俺の正式な妻となった。
結婚したことにより貢献陰を外れた父から、惨殺された父の友人の遺産を相続した事を知らされた範子は、昔暮らした土地へ家を建てて俺と共に引っ越して屋敷を出た。
新しい家で、思う存分範子を辱め、緊縛折檻の恥辱へ追いやった。
完全いマゾ化した範子は、快楽の渦へと呑み込まれてその清楚なイメージを崩していった。
可憐な幼な妻が容赦ない凌辱の嵐に乱れ狂った。

範子は20歳で長女、23歳で二女を産んだ時には平成になっていた。
そして長男を産んだ範子が26歳の頃、バブルが弾けた。
俺の実家は不良債権を抱えて没落、俺達の住む範子が相続した土地建物にも抵当権がかけられていたから、不動産はすべて失った。
父と兄貴は自己破産し姿を消し、義姉は兄と離婚して子供達と実家へ帰った。
俺はサラリーマンだったから、失ったのは父と兄の事業拡大のために抵当に入れた範子名義の不動産だけだったので、俺と範子は郊外のアパートで細々と暮らした。
家族5人、肩寄せ合って暮らしたが、決して貧乏ではなく、前までの暮らしが分不相応だったと気づいた。
あれほど淫らに楽しんでいた範子への嗜虐セックスも影を潜め、狭いアパートではできずに、月2,3回、ラブホで夫婦の営みを続けていた。

長女と次女は高校を出て働きに出て、現在、長女は結婚して子供がいて、二女は昨年結婚したばかりだ。
そして、4年前に大学進学で長男が家を出て以来、範子との家庭内でのセックスが復活した。
今年3月に俺は定年、長男が就職して、親の務めを終えた。
今は、俺は嘱託で、範子はパートで働き、夫婦二人で仲良く暮らしている。
49歳の範子はまだ生理があるから中出しは出来ないが、61歳の俺のチンポを美味しそうに咥える。

先月、東京へ出た時に新宿にある怪しげな店で面白いDVD付きのエロ本を見つけた。
それは、10年くらい前に発行された古本だったが、昔の裏ビデオを解説したものだった。
その中に、家を追われるときのゴタゴタで、1本だけ行方が分からなくなって処分し損ねていた範子の凌辱ビデオがあったのだ。
もちろん、モザイク処理がされていたが、紛れもなく中学時代の範子の緊縛凌辱ビデオだった。
中学のセーラー服で幼い女性器を甚振られた13歳の範子の壮絶な凌辱ビデオだった。
現代にレベルと比較すると、あまりに荒い画面で、モザイクの必要がないのではないかと思えるほどだったが、間違いなく範子だった。
解説には、「まるで本物の女子中学生のように見えるこの裏ビデオは、製作者が全く謎で、撮影された時代と流通した時代に開きがある作品である。」と書かれていた。
それを見て、俺はそのビデオの真相を書き込んでみようと思った次第だ。


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