私の子供の頃は、男子は丸刈り、女子はオカッパか三つ編みが普通だった。それでもって、こどもの床屋は親がやるのが通り相場だった。
たいてい母親がバリカンで刈り、首筋とか顔を剃るのが父親がやっていた。庭にいすを出し、首の周りの風呂敷を巻き、落ちた髪の毛は庭ほうきで掃除した。床屋がないわけではなかったがそれだけまずしかったのだ。その当時の日本は。どこも同じだったからソレを貧しいとか恥ずかしいなんて思いもしなかった。首筋なんかを剃るのは父親の仕事で風呂に一緒に入り、洗い場で父がひげを剃るカミソリで剃ってもらった。なあんて書くと、どこがエッチな話かと。
オヤジにじっとしてろと怒られながら、剃ってもらい、その後、オヤジは洗い場の壁にぶら下げてある鏡を見ながら自分のひげを剃るのがいつものパターンであった。私は湯船につかりながら、オヤジが立ってひげを剃るのをみながら、ちょうど自分の目の高さにあるオヤジのチンポによく見とれていた。それはこどもの目から見ればグロテスクな逸物であり、先っぽには完全にムケ返っているでかい亀頭が付いていた。子供心に自分の朝顔のつぼみみたいな細いのとは大違いなのに興味津々でありました。母親ともよく入ったので、ふっくらした土手にふんわりした恥毛が生えていてその下あたりから割れ目がある。洗い場にタワシをかけるときに後ろから見えるお尻の穴と割れ目の間は繋がっていず、そのへんにもわずかながら薄い恥毛が生えていた。まだ、ぼっきもはじまってないガキでも結構興味を持っていた。らしい。
精通が始まり、チンポが立ち始めてからは当然一人で入るようになり、そんなある晩、洗い場で洗っているといつものようにチンポが立ち上がり、大砲のように突き出した状態になった。、その時ガラッと窓が開き、母親が覗き込んだ。「湯加減はどお?」とっさに湯桶で股を隠したが、勃起してムケた亀頭が母親の目に入ったらしい。瞬間的に窓が閉められた。母親にとって息子の勃起したチンポはどう感じたろう。
すっごい!息子もおとななんだとおもったかどうか、それから、母親はいきなり開ける事はなくなった。
その頃になると、かつて見とれていたオヤジのムケかえった巨大な亀頭が夜に母と同衾すると固く反り返り、洗い場で見た母の柔らかく閉じた割れ目を押し広げ、巨大な陰茎は母の愛液にまみれながら、なんども抽送されたりして、睦言を云いあいながら、おびただしい精液が堰を切って子宮口に吐き出される。そんな妄想が頭の中を駆け巡ってばかり居た。お風呂で剃ってもらっていたのは小学校の低学年だったから、その後妹が生まれている。よくその頃、祖母が一緒に寝ようと誘ってくれていた。アレはそういうことだったのか。両親二人きりの閨房で子種を宿すべく奔放に、夫婦のお楽しみを満喫していたのだ。当時,私8歳、そうすると母は29歳父は34歳か。そりゃ、種付けでなくても
やりまくり時代だったか。そうだなあ、子が学校へ上がって手が空いて、夫婦生活に関心が戻り、成熟したカラダになっている母を男盛り、
チンポのたち盛りの父がほおってはずがない。母のオマンコは毎晩乾く暇もなかったとおもう。いや、母が父のチンポなしで寝られなかったのが正解か。そういや、あの頃、母の敷きふとんだけ下半分にバスタオルがひいてあった。当時はなんで母だけ?っていうと「お母さんは夏でも腰が冷えるから、、」といってたが、あれは父の精液や母の愛液で敷きふとんが汚れるからだったんだな。よくあのタオルは洗濯してたなあ。そういや、夜中に小用に立った時、便所で母とはち合わせ、母がしゃがんでるのを見たけど、寝間着をまくって用を足してたけど、
その下にパンツを履いてなかったなあ。、まだある。風呂から上がった父がパンツを履かず、前に宛てがってうろうろしてたのを、母が「はきなさいよ、みっともない」とたしなめたら、「今日はパンツをはかずにせにゃならんことがあるから」といったらだまってしまった。