スイミングスクールにて

教え子
「ねぇ、今日、スイミングスクールに行ったら誰に会ったと思う?」
と珍しく機嫌よく妻が話しかけてきた。昔の友達か何かかと思ったが検討がつかない。
「分かんないよねぇ。私も最初見た時は誰か分かんなかったもん。」
誰?と興味が出てきた。よほど見た目が変わったのだろう。
「僕も知ってる人かな?」
と聞いてみると、
妻は頷いて、悪戯っぽく笑って
「知ってるよ」
と言う。共通の知り合いは限られている。スイミングスクールに行くような知り合いは思いつかなかった。
「誰?分かんないよ」
「降参?」
とまた悪戯っぽく笑う。
「はい、降参です。教えてください。」
と僕は白旗をあげた。
「五十嵐くんよ」
と妻は覚えのない名前を言った。
「誰だっけ?」
と返すと、妻は目を丸くしながら
「忘れちゃったの?◯◯中の時の私のクラスの五十嵐くん」
と僕を責めるかのように口を尖らせた。
「あの背の小さな、よくいじられてた?」
ぼんやりとだが記憶を辿る。確かに妻のクラスに、小さないじられやすい男の子がいた。確か20歳になったくらいだ。
「そう、それがね。身長もグンと伸びちゃって、逞しくなってたの。見違えちゃった。」
と嬉しそうに言う。
「男子三日会わざれば、と言うからね。」
とどっかで聞いた格言で返す。
「ホント、成長してたわ。」
と感心したように深く頷く。
「何でスイミングスクールにいたの?通ってるのかな。」
と聞いてみる。
「それがインストラクターになったんですって。あのスイミングスクール、大学が経営してるじゃない。学生のバイトで、インストラクターになったんだって」
とどこか得意げに妻は事情を話す。
「ふうん。あのちびっこの五十嵐がねぇ」
と言うと
「高校で水泳部に入ったみたいで、鍛えられたみたい。
あなたも会ったらびっくりするわ。」
てやはり得意げに話す。
「そうだね、近々会ってみたいね。」
と調子を合わせると
「じゃあ、次のスイミングの日、さくらのお迎えお願いね。」
とちゃっかり娘の迎えを押し付けられてしまった。
彼は緊張した面持ちで対面に座っている。ここは、スイミングスクールのある大学プールの近くの喫茶店。夏休みの為かこの時間は閑散としている。注文したアイスコーヒーが目の前にあるが、彼はまだひと口もつけていない。きっと口の中はカラカラだろう。
「久しぶりだね、ホントに見違えるほど立派になったね」
と感情を抑えるように、できるだけ冷静に話す。
「お久しぶりです。ありがとうございます。」
と硬い声が返ってきた。無理もない。これからどう詰めていこうか、頭の中で悪巧みを巡らせる。
「今日来てもらった理由は分かってるね」
さも、当たり前の事だと言わんばかりに、確認する。
誤魔化すか認めるか、何故か胸がワクワクする。
彼は、苦しい顔つきで首を横に振った。
「ふうん、ではこの写真はどういう事か、説明して欲しいものだね。」
例のキャンプの時のイチャイチャした写真を示す。
彼は俯いて黙っている。何をトボけているんだと怒りが湧いてくる。
「ウチのとどんな関係なんだ?」
語気が強くなる。彼の顔が歪む。
「正直に話してくれれば、僕にだって、慈悲のこころはある。」
寛大なところを見せて、彼を籠絡しようと試みる。
彼は俯いたまま、汗が吹き出している。
彼が重い口を開いた。
「すみません、先生。」
絞り出すような声だ。
「ボクは中学の頃から、裕子先生が大好きでした。初恋の人でした。結婚するって聞いた時は、凄く嫉妬したし、先生に負けない人になってやるって思いました。」
抑えていたであろう感情が一気に込み上げてきたのだろうか。若い情熱が羨ましくさえ感じるが、妻を寝取った相手だ、情けは無用だ。
告白は続く。
「だから、スイミングスクールで裕子先生に再会した時は、夢かと思いました。奇跡ってあるんだって」
「先生も、見違えたと僕の成長を喜んでくれて、嬉しかったんです。それで、中学の頃からの気持ちを告白したんです。その時は自分の思いを伝えられれば満足でした。先生もちょっと戸惑った顔をされていましたが、ありがとうと言ってくれました。それだけで嬉しくて嬉しくて、舞い上がってしまいました。」
彼の表情がどこか夢見る少年のようだった。
「それで、スイミングスクールがある度に話すようになって、距離が近づいてきた感じがしました。」
いよいよ核心に近づいてきた。
「サマーキャンプに行った時に、ダメ元で裕子先生にお願いしたんです。」
「お願い?」
「ええ、恥ずかしいんですが、その時ボクはまだ童貞で。女の人を知らなかったんです。だから、初めての相手にと先生にお願いしたんです。」
喉が渇いてくる。アイスコーヒーをひと口飲む。
「それでウチのの返事は?」
気が急くが、自分の気持ちを抑えながら先を促す。
「先生はすごく困った顔をされてました。ボクも必死だったので、何度もお願いしたんです。それでも良い返事はもらえませんでした。」
意外にホッとした気持ちになる。断ったのか。すると、妻の不倫は疑惑だけか?いや、証拠はあるから違う。
「自分でも卑怯だとは思うんですけど、先生の秘密を取引に使いました。」
「秘密?」
何の秘密だ?この事以外に何の秘密があるんだ?