父を偲ぶ。

寝取り・寝取られ,父を偲ぶ。

私の両親も私が中学生という多感な時期に離婚しました。
私は母に引き取られ母方の実家に弟と3人で暮らし始めました。
離婚原因を母から父の浮気と言われ、生活環境の変化や色々な事の原因を作った父を激しく恨んでいたのを覚えています。
母もそうでしたが、祖父母からも父への非難の言葉を聞かされて育った私や弟は当然の結果父親を嫌い、月に1度の面会さえも拒否をし関わる事を避けていました。
本当に大好きで尊敬していた父をあそこまで嫌悪できたのはそんな環境にいた事が原因だったと思います。

そして今から5年前、私が高校2年生の頃に母が再婚しました。
父のせいで母も苦労したんだと思い、弟と2人して母を祝福したのを覚えています。
その当時、母はまだ39歳と女ざかりといえる年齢です。複雑な気持ちもありましたが祝福の気持ちの方が遥かに大きく、母を冷やかしながら喜んでいました。

相手の方は52歳の良くも悪くも普通のおじさんで、何でも職場の関係で知り合ったと聞きました。

しかし、そんな幸せな時間は長くは続きませんでした。
それは忘れもしない、母が再婚して向かえた年の終了式の日でした。
その日、学校から帰ってきた私に中3の弟が何とも形容しがたい顔で話しかけてきました。

『純也(私)・・・今日さ・・・ばあちゃんに会ったんだ・・・』

「ばあちゃん?」

『うん・・父ちゃんとこの・・』

「あいつのとこの?」

その頃の私は、父の事を”あいつ”とぞんざいに呼び捨てていました。
あの頃の自分を殴り殺してやりたい程のつっぱった態度でした。

「で、何て?」

『うん・・・なんかね・・とうちゃん・・死んだってさ』

正直父の事なんか忘れかけていた私は、久しぶりに聞く父の話に一気に不機嫌になっていましたが、弟の口から出た衝撃の言葉に私は思考能力を完全に奪われました。

「いつ?」

『去年』

「・・・・・」

『それでさ、ばあちゃんが1回線香あげに来てくれないかって・・・・どうする?』

「・・・・・・」

その場で答えを出せなかった私は弟と相談し母に話してみる事にしました。
その晩、義父は残業で居ない食卓で3人食事をしている時に私から切り出しました。

「母ちゃん、今日さ健司(弟)のとこに渡辺のばあちゃん来たんだ」

『渡辺の?いつ!!何しに来たの!!』

母のあまりの剣幕に一瞬たじろぎましたが話を続けます。

「とうちゃんが死んだから線香あげに来てくれって・・・」

すると母から信じられない言葉が返ってきました。

『何言ってるの!!あの人と私達はもう縁が切れて関係ないのよ!!線香あげるなんて・・・駄目よ!!』

「で、でもさ・・・」

『渡辺のお義母さんもズルイ人だわ!!あれだけ断ったのに健司の所に行くなんて!!昔からそうよ!!あの人と来たら常識がないんだから!!』

取り付く島もない母の剣幕に圧倒されてしまい話はそこで終わってしまいました。

しかし、なんだかスッキリしない母の言葉に違和感を覚えた私は、その週の日曜日に父方の実家を1人で訪ねたのです。

4年振りに会う祖母は驚くほど老け込んでおり、黒色の多かった髪は満遍なく白髪頭になっていました。
私を見るや『よく来たね・・よく来たね・・』と涙を流しながら手をとり喜んでくれました。

早速仏間に通された私は、4年振りに遺影になった父に再会しました。
遺影の父はあの頃と同じ、柔らかい笑顔で私を迎えてくれました。
しかし不思議と私の目には涙はありません。
まだ父の事にこだわっているのか?それも否定はできませんが、それよりも多分父が死んだ事を受け入れられなかったんだと思います。

父を恨み、嫌い、一生会いたくもないといくら思ってはいても本音はそうじゃなく、本当は嫌いにはなれないし会いたくなったらいつでも会えると思っていました。だからいきなり『父が死んだ』『もう会えない』と言われてもピンと来ないのです。

父の遺影に手をあわせ、ボーっと仏壇を眺めている私に祖母が声をかけました。

『純ちゃん今日は来てくれてありがとうね・・お父さんもきっと喜んでいるよ・・』

祖母は、父に似た柔らかい笑顔でしんみりと言いました。

「うん・・本当は健司も連れて来たかったんだけど、2人していなくなったらさ・・母ちゃんが・・怒るから・・さ・・」

『そうかい・・悦子さんが・・』

すると、祖母の顔から笑顔が消え悲しそうな・・いえ、辛さをも滲ませる顔になりました。

「でもね、母ちゃんの気持ちもわかるんだ。父ちゃんの浮気で母ちゃん傷ついてたから・・」

私はとっさに母のフォローをしました。母が怒る気持ちも理解できるから。

すると祖母は、無言で立ち上がり奥の部屋へ行ってしまいました。
どうしたんだろう?と思っていると何か箱の様な物(靴入れ位)を持って戻ってきました。

『本当はね、お婆ちゃんが墓場まで持って行こうと決めてたんだけど・・・純ちゃんや健ちゃんに誤解されたままだと・・あの子が不憫で、不憫で・・・』

そう言って祖母が箱の中から取り出したのは一冊の日記帳でした。

祖母から渡された日記帳には【2000年~】とだけ表記されていました。

2000年といえば両親が離婚した前の年です。何が何だか訳がわからない私は祖母「ばあちゃん、これ何?」と尋ねました。すると、

『これはね・・純ちゃんのお父さんがつけてた日記なのよ』

「父さんの?」

『お婆ちゃんも去年知ったの。あの子が入院した時にねえ、その準備で入ったあの子の部屋で見つけたの・・』

「それで・・これは?」

『それは日記を見てくれればわかるはずよ・・・日記はあと1冊その箱に入っているから・・』

祖母はそう告げると仏間から出て行きました。
急な展開に動揺していた私でしたが、祖母の意味ありげな言葉に引っかかる物を感じたのも事実。
言い知れぬ不安を感じながら一番最初のページをめくりました。

【2000 11/13 
今回で2回目。相手も同じ。もう別れるしかないんだろうか?考えがまとまらない。】

(今回で2回目?相手も同じ?何だこれ?もう別れるしかないって・・父ちゃんと浮気相手との事か?)

【2000 11/20 
今日は終日胃が痛い1日だった。興信所から資料ををもらって帰って来たが俺はどうしたいんだろう?離婚?子供たちは?だめだ、何も考えられない】

(興信所?父ちゃんが興信所頼んだのか???)

【2000 11/22
子供たちが休んだ後、悦子と話した。中々認めようとしないから興信所の資料を見せた。あっさりと認めた。もう俺の事を男としては見れないと言われた。怒りよりも悲しくなった。なんか胃が痛い。】

【2000 11/25 岡田を交えて3人で話し合いをした。2人は本気だそうだ。惨めだ。話し合いの途中で目で合図し微笑みあうのを見てあきれた。こいつらにモラルなんてない。子供は引き取りたい?許せない!!こんな非常識な人間に大事な子供たちだけは渡せない!!】

いつの間にか涙が出ていた。
ここまで読んである真実が確実に存在する事だけは分かった。
父は浮気なんかしていない。私たちを裏切ってなんかいなかった。それどころか・・・

「母ちゃんが浮気・・・相手は再婚したおやじさん・・・」

衝撃の事実を知った私は涙を拭い、日記をさらに読み進めました。

【2000 12/1
悦子と何度目かの話し合い。やはり子供は引き取りたいと言われた。「子供も馬鹿じゃない!離婚の理由を話して君について行くと思うのか?」と言ったら「子供には黙っていて」だと。散々2人で『やましい事はない』だの『愛し合っている』だの言っておいて結局はこうだ。話すのも馬鹿馬鹿しくなってきた。幼い子供と話してるみたいだ。

【2000 12/3 
岡田を交えて2度目の話し合い。休日出勤になったからと3時間待たされた。なのに遅れておいて奴は、何事もなかった様に謝罪もなく席に着いた。呆れた。書くのも腹ただしい。常識のない人間だとは思っていたがさすがにこれはひどい。こんな奴らに大人になるために大切な精神を形成する時期を迎える子供を育てられたらと思うとゾッとした。話し合いは前と同じ。お前ら2人が死のうがくっつこうが構いやしないけど子供たちや俺を巻き込むな。子供たちは渡さない!

【2000 12/9
明日は純也と健司をつれて3人で河口湖にバス釣りに行く。最近の俺たち夫婦の様子がおかしい事に上の純也は気付いてるようだ。申し訳ない。子供に心配をかけてはいけないよな。子供達には明日はおもいきり楽しんで欲しい。

【2000 12/10
今日の釣果は純也と健司の1匹づつだった。情けない事に釣り歴20年以上の俺だけ当たりすらない釣果0匹だった。久しぶりに楽しい時間を過ごせたなぁ。これからはもっとこうゆう時間を増やさなければ。帰りの車で純也に「母ちゃんと何かあった?」と聞かれた。正直、言葉がでなかった。何でもないから心配するなとはいったものの果たしてそれが正解だったのか?でもあの場面で母親の浮気問題でギクシャクしているとは言えない。俺は何て言えば良かったのか?誰か教えて欲しい。】

一旦日記帳から目を離し、天を仰いで回想しました。
覚えています。確かにあの一時期両親のただならぬ雰囲気を感じていた私は言い知れぬ不安感を感じていました。
父と母は必要以上に会話しないし目も合わせようとしない。一応私と弟に気を使っているのか、食卓やリビングでは普通に振舞っている様でしたが、無理からやっていたからなのか不自然さは拭い切れてはいませんでした。離婚も理解できる年齢だった事もあり、このままうちの両親も?と、何度も頭をよぎっていました。
だから、あの時の父の言葉は心底安心したしうれしかった。ただ単純に。

しかし、その裏で父は悩んでいました。離婚後の私たち兄弟の事を最優先に考え、どうしたら一番いいのか?と。
睡眠時間も極端に短くなり不眠症になってしまいました。そんな中で、仕事、離婚問題、そして私たちの事。父には、心と体を休める時間は皆無でした。
その代償はハッキリとした形で現れます。この数ヶ月で、父の体は病魔に徐々に蝕まれていたのです。

話は少し飛びます。

【2001 1/19
今日、会社を早退させられた。俺の顔が酷いと言われトイレで鏡を見た。金縛りにあったかの様に動けなくなった。そして愕然とした。病人の顔とは課長も上手い事言ったもんだな、その通りだもの。まるで生気がない死人顔だ。最近眠れなかったからかな。そう言えば食欲もない。少し気をつけなければ!まだまだ倒れるわけにはいかんぞ!大変なのはこれからなんだから】

【2001 1/21 
木下のお義父さんとお義母さんが昨日突然現れた。悦子から離婚の話を聞いたらしく週末に夫婦そろっておこしになった。ある程度は悦子から聞いたにしろ何か違和感があった。悦子の事で謝罪はあるんだけど嘘っぽく見える。それに、なんだかいやに物分りがいいのだ。普通なら許してやってとか言うもんじゃないのか?細かい離婚の日にちを決めようとか乗り気で言い出すし。まあ、思案中って言ってつっぱねたけど。あと、岡田の事をよく知ってるみたいな口振りだったな。気のせいか?せっかくの土日だったのに少しも休めなかった。子供たちを、急遽実家に泊まらせたけど、いきなり田舎のじいさんばあさんが来たから、健司はともかく純也は何か気づいたかもしれない。来るなら前もって知らせてほしい。親子共々配慮のかけらもない。はぁ・・・・・胃が痛い。】

【2001 1/25
離婚の話で少し進展があった。子供たちが休んだ後、悦子から親権を譲ると言ってきた。あれ程ぐずってたのにどうゆう心境の変化だろう?と思って訳を聞いて納得した。要するに自分の浮気で離婚する事を言わないでって事。子供に知られて嫌われるのが相当怖いそうだ。前に岡田と2人で、「私たちの真剣な想いを聞けば子供たちなら分かってくれるって」言ってませんでしたか?と聞いたら、『ちゃんと話はします。ただ、時間が欲しいだけです」だと。俺には理解できないよ。たんにほとぼりが冷めるのを待つだけじゃないか。そんな事で子供たちが納得するとは思えないけど。
その申し出は受けるつもりだ。ずるずると長引いて裁判覚悟でいたから渡りに船だ。それに元々離婚理由を子供たちに言うつもりもなかった。あんな事したって子供にとっては大切な母親だ。彼らの事を本当に思っているのはわかるから。だけど、ただ納得するのはしゃくに障る。だから「今は返事できない。俺は子供たちに話して彼らに決めてもらおうと思っている。ただ、子供たちにとって、両方にとっても一番いい方法を取りたいとは思う」と意地悪な言い方をした。いいよな?これ位は。今までさんざ馬鹿にされて来たんだ。ささやかな復讐だ。
ただ、泣きながら『よろしくお願いします』と言われた時にはホッとした。彼女が少しだけ俺の知っている人間でいてくれたから】